新聞に博物館が!

 昨日の沖縄タイムスに、ここの博物館が載っていました。鶴見さんが1人出勤されていたときに、座喜味老人クラブのみなさんが来られたときのものです。もっとたくさんの方が博物館を訪れてくれることを願い、切り抜きをして東村の話題コーナーに貼りました。

 後、最近必ずと言っていいほどの話題が続く、ヤンバルクイナの記事のコーナーも作っています。これも昨日の新聞にですが、治療を行ったヤンバルクイナに発信器をつけて山に放したところ、カラスに襲撃されて死んでしまっていたと言う記事がありました。車にひかれて死亡する件も多いのですが、他の動物による補食も多くあるようです。動物による被害は、自然形態があるので防止することは難しいと思いますが、その分、人間による被害は気をつけようという意識の違いで、だいぶ変わるのではないかと思います。地元の人はもちろん、ヤンバルにドライブに来られる方にも、車のスピードには気をつけて欲しいと思います。私も車を使用していますので、ゆっくりと余裕を持って運転していきたいと考えています。



  昨日、村さんと博物館の看板をリニューアルして慶佐次ふれあいヒルギ公園とサキシマスオウノキのところに設置してきました。今回はグッチー(館のマスコット=ノグチゲラ

のイラスト入りでパンフレットもラミネートして貼り付けたのでかなり良いできです。村さんと尚子さんの合作による力作です。看板を見て来てくれるお客さんも増えそうです。

  その後、有銘の上原朝明さんの自宅に行きオオゴマダラの蝶園を見学しました。食草のホウライカガミの増やし方などを教えていただきました。あわせて苗も頂き、ありがとうございました。食草を十分に準備すること(50鉢以上)が蝶園でオオゴマダラを育てる最低条件ということを強調されていました。頑張って増やしいこうと思います。

  本日午後にも上原さんが博物館にいらして、昨日に続いてのオオゴマダラについてのアドバイスをいただきました。ついでに館の展示もみていただき次の話しを聞くことができました。

  

○有銘の地元でナナフシをもう20年くらい見たことがない。


○ワラザン(昔の計算道具)の使い方、編み綱の部分で先端に結び目のあるところが20,ないところが10,一本わらの部分で節のあるものが5,無い物が1と勘定した。昔の商人などが良く使用し、腰ひもにぶら下げて持ち歩いていた。


○米などを脱穀するクルマンボーという道具について、打ち付けるところの部分は手持ちの部分の3分の2くらいの長さであった。木の材料としては、しなり、弾力性があり丈夫なガシチャー(和名?)と言う木を使用していたとのこと。


脱穀機の前はシンバ(千歯)、シンバの前はイービという竹2本(15㎝くらい)を付け根で結んで作った道具で脱穀をしていた。シンバを使用していた期間は短かった。


○ゴール(有銘でロッカク=六角)と言う田植えの苗植え付けの目印をつける道具は使用していたことはしていたがほとんどが使っていなかった。ほとんどがひも等を引いて植え付けをしていた。完全に真っすぐではないがその方が早く、合理的に引けた。


○有銘と慶佐次の間のスク浜に戦後は、戦車が2、3台あった。自然に朽ちて今はもう無い。当時はその戦車から磁石などを取った覚えがある。

 

 これからは聞き取りしたことをできるだけ日記として残して、後に活用できるよう記録していきたいと思います。  鶴